観客の責任
落語を見始めて感じたのは「観客の側の責任も多いのでは?」ということでした。
・観客の側の責任
・演目は知ってる前提?
・演者と客の共同プロジェクトなのでは
落語は観客の側の責任も多いのでは?
これは見始めてすぐそう感じました。
演目がどんな話かを知っている前提、他の落語家の名前、亭号・一門の名前も知っている前提(これは主にマクラ)で話が進んでいく。
どれもすごく沢山あるように思えて途方にくれました。
落語の本とかネットには「落語に予習は不要」と書いてあることも多いですが、全然そうは感じず、前提が分かっている方がずっと楽しそうに見えて羨ましかったです。
演者と客の共同プロジェクトなのでは
そんな中、落語とは全く関係ない本を読んでいたら、「これかも」という考え方にぶつかりました。
ちきりん『徹底的に考えてリノベをしたら、みんなに伝えたくなった50のこと』
徹底的に考えてリノベをしたら、みんなに伝えたくなった50のこと
- 作者: ちきりん
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2019/04/04
- メディア: Kindle版
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この本では、
世の中の取引には、売り手と買い手が「等価な価値を交換する取引」と「両者で共に創出した価値を分け合う共同プロジェクト型の取引」があります。
という2種類の取引があると紹介されています。
①等価値交換:500円のお弁当と500円の現金を交換する
②共同プロジェクト:売り手と買い手が共同して価値を生み出す。例)医療・スポーツジム・英会話教室
②の英会話の例を詳しく言うと、売り手と買い手が共同しなければ価値が生み出されないため
「20万円払ったのだから自分は何もしなくても英検一級の英語力が得られるはず」ということはないのですね。
この視点で落語を見ると、
決して①等価値交換ではないですね。同じ演者・料金でもその時によって内容も出来も変わります。
では②共同プロジェクトなのか?。だとしたら演者とお客が共同して価値を生み出すことになります。
確かにそうなのかもしれないです。だから私は落語の前提が分かっている人の方が楽しそうに見えて(多くの価値を生み出しているように見えて)羨ましかったのだと思います。
ここで一つ気づいたのが、必ずしも知識があるほど多くの価値が生まれるとは限らないということ。スポーツジムでも英会話でも「初心者であるがゆえに伸びしろが大きく、少しの期間で大きく変化する」ということがあります。
落語を見に行くことでもきっと同じことがあるのでしょう。
今の自分は知識がある人が羨ましく見えるけど、今しかできない楽しみ方があるのかも。
そう思ってこれからも落語を見に行こうと思いました。