落語家が出てくる小説
・落語家が出てくる小説
北村薫の「円紫さんと私」シリーズ
20年ほど前、このシリーズが好きで良く読んでいました。
女子大生の主人公「私」と落語家の「円紫師匠」が日常の謎を解決するミステリーです。
落語の噺もいくつか登場して興味深かったですが、
落語を実際に見に行くのはすごくハードル高いと思っていました。
歌舞伎は社会人になってから見に行ったし、大学の課外授業で文楽を見たこともあったのに
落語は行ってみようと思わなかった。
当時の自分にとって落語も落語家さんも小説の中に出てくるものでした。
20年前の自分に
「40歳過ぎてから、立川こしらさんて落語家の本を読んで落語見に行くようになるよ。
なぜか名古屋に住んで大須演芸場に通うよ。
小説に出てくるけど行けなかった鈴本へも行くようになるよ❗️」
と言ったら当人はびっくりする、というよりも「?」でしょうね笑
書きながら思い出しましたが
歌舞伎は就職した会社で、歌舞伎ファンの先輩に誘ってもらったのをきっかけに見に行ったのでした。
文楽は大学で申し込むと見に行けるプログラムがあったから行きました。
そして今立川こしらさんの本をきっかけに落語を見に行っているのです。
きっかけをくれる出会いがあったから行けたのですね。
アウトプットすること
・アウトプットすること
・自分を出すこと、自分以外に興味を持つことの両方が大切
ブログやツイッターに感想を書く時、気になることがあります。
自分の言っていることはおかしくないか?
古い感性になっていないか?周りにどう思われるだろう・・・等々です。
自分の言っている内容そのものというよりも
周りとの距離感・メジャー度・マニアック度・年齢ギャップなどが
測れないことが一番気になっている気がします。
それを測るにはアウトプットし続けるしかないのでしょう。
アウトプットしてみる→反応を見る→修正する→(繰り返す)
だから、完璧になるまでアウトプットしない、ではなく
ちょこちょこと出して試すのが良いだと思います。
たとえ誰からも反応がなくても
少なくても人に見られることを意識してアウトプットすることで
自分の中の意識が変わります。
考えるだけで表に出さないことも避けることができます。
また、周りを意識することって
自分以外の周りに興味を持つことにつながります。
自分を出してみることと
自分以外の周りに興味を持つこと
両方が大切だと感じました。
落語会に行ったのを自慢したい・・⁈
・経験と発信
ツイッターで他の地域の落語会へのツイート見ると羨ましく思ったりします。
そして自分が行った落語会の感想書く時は自慢したい気持ちがあります。その場にいた人にしか味わえないものがあるから、それをうらやましく思ったり自慢したりするのでしょう。
ではその場で経験することができるけど発信できないのと、経験はできないけど発信できる(DVDを見て発信とか)のはどちらが良い、やりたい、魅力的だと感じるでしょうか。
やっぱり経験できる方が良いですね。
ただここまで考えて思ったけど、DVDを見る、というのも一つの経験であることに変わりはないのです。
問題は、自分がした経験を発信する価値があるものとないものに分けているその価値観の方かもしれません。自慢できるようなことしか発信しないと考えていたことが間違っていた気がしてきました。
観客の責任
落語を見始めて感じたのは「観客の側の責任も多いのでは?」ということでした。
・観客の側の責任
・演目は知ってる前提?
・演者と客の共同プロジェクトなのでは
落語は観客の側の責任も多いのでは?
これは見始めてすぐそう感じました。
演目がどんな話かを知っている前提、他の落語家の名前、亭号・一門の名前も知っている前提(これは主にマクラ)で話が進んでいく。
どれもすごく沢山あるように思えて途方にくれました。
落語の本とかネットには「落語に予習は不要」と書いてあることも多いですが、全然そうは感じず、前提が分かっている方がずっと楽しそうに見えて羨ましかったです。
演者と客の共同プロジェクトなのでは
そんな中、落語とは全く関係ない本を読んでいたら、「これかも」という考え方にぶつかりました。
ちきりん『徹底的に考えてリノベをしたら、みんなに伝えたくなった50のこと』
徹底的に考えてリノベをしたら、みんなに伝えたくなった50のこと
- 作者: ちきりん
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2019/04/04
- メディア: Kindle版
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この本では、
世の中の取引には、売り手と買い手が「等価な価値を交換する取引」と「両者で共に創出した価値を分け合う共同プロジェクト型の取引」があります。
という2種類の取引があると紹介されています。
①等価値交換:500円のお弁当と500円の現金を交換する
②共同プロジェクト:売り手と買い手が共同して価値を生み出す。例)医療・スポーツジム・英会話教室
②の英会話の例を詳しく言うと、売り手と買い手が共同しなければ価値が生み出されないため
「20万円払ったのだから自分は何もしなくても英検一級の英語力が得られるはず」ということはないのですね。
この視点で落語を見ると、
決して①等価値交換ではないですね。同じ演者・料金でもその時によって内容も出来も変わります。
では②共同プロジェクトなのか?。だとしたら演者とお客が共同して価値を生み出すことになります。
確かにそうなのかもしれないです。だから私は落語の前提が分かっている人の方が楽しそうに見えて(多くの価値を生み出しているように見えて)羨ましかったのだと思います。
ここで一つ気づいたのが、必ずしも知識があるほど多くの価値が生まれるとは限らないということ。スポーツジムでも英会話でも「初心者であるがゆえに伸びしろが大きく、少しの期間で大きく変化する」ということがあります。
落語を見に行くことでもきっと同じことがあるのでしょう。
今の自分は知識がある人が羨ましく見えるけど、今しかできない楽しみ方があるのかも。
そう思ってこれからも落語を見に行こうと思いました。
広瀬和生 『21世紀落語史』
・広瀬和生『21世紀落語史』を読んで印象に残ったところ
https://honsuki.jp/series/rakugo/2784.html
印象に残った一文は
「重石が取れる」
名人の死の影響の一つとして
下にいた人たちが実力を花開かせていく様を表現していました。
そういうことはあると思いました。
大きな存在だった先人を亡くした時、心細い気持ちになるけれど、自分に何ができるか、誰にも気兼ねなくやりたいことをやってみたいという意欲も生まれると思うのです。
そしてただ上がいなくなったからだけではこうはならないと思うのです。その人が実力を蓄えていたから、準備ができていたからその現象が起きるのでしょう。
大須演芸場に行ってみる
・初めて大須演芸場に行ってみた
・柳家さん喬師匠を聴けた
・真打昇進襲名披露興行に何だか感動する。
自分の住んでいる名古屋にある大須演芸場に行ってみることにしました。
正確に言うと、「行ってみたいけど何か行きづらいしどうしよう・・」とモタモタしながら番組表(日ごとの出演者の一覧)をネットで見ていたら、その日の出演者の中に本で見た名前を見つけたのです。
「柳家さん喬」
あ、この方は広瀬和生さんの本『この落語家をよろしく』で最初の方で紹介されてなかったっけ?
確か東京の寄席で毎日のようにトリを取っていると書いてあった人だ。
そしてあの(良く名前を見る)柳家喬太郎さんの師匠だよね?
この方が大須演芸場に来るのは、きっと貴重な機会なのでは?
そう思って行ってみることにしました。
2019年3月2日大須演芸場 第一部(11時開演)
地下鉄の大須観音駅から歩いて3分か4分くらい。大須演芸場の入り口前では法被を着たおじさんとかお兄さんがいます。入り口前にも番組表が貼ってありました。
入り口脇のテントがチケット売り場になっていてそこで一般1枚買います。「東京かわら版」も売っていたのでついでに買いました。
入り口入って1階の客席へ。100人位座れそうな1階席が良い感じで(でもぎゅうぎゅうではなく)埋まっていて60人くらいいるかな、という感じでした。
落ちついて今日のチラシを見ると、真打昇進襲名披露興行、トリは柳家花ん謝改め柳家勧之助、とあります。何人か真打昇進した人がいて、今日はこの人が出てくるのね。名前も変わったから真打昇進襲名披露なのね。と納得。
さん喬師匠は仲入り(休憩)の前。
開演時間が来て始まりました。最初に落語が二人(柳家小んぶ→林家錦平)、その後漫才(オレンジ)があってさん喬師匠の登場です。
噺が始まって「あ、この話はあらすじを知っている」と思ってうれしくなりました。
内容は寝ていた男に夢の内容を教えろ、次々に皆がせまる話。(「天狗裁き」という名前であることは後で知りましたた。)
さん喬師匠、顔をちょっと右に向けて話すとおじさん、左に向けて話すと(カミシモというらしい)おばさんに見えます。夫婦のやり取りを演じ分けているのですが、ほんの一瞬でおばさんに見えたりおじさんに見えたりするのです。本当にそう見えます。
聴いていると気持ちがすーっとするような気持ちの良い話し方でした。他の客もとても楽しそうにしていました。
中入り後、真打昇進披露口上というのがありました。
全員が並んで挨拶をします。こういうの歌舞伎でもありますね。
司会役の人がいて、えらい人(今回はさん喬師匠)が話し、全員が挨拶と何か一言言います。
その後三遊亭吉窓さんの落語と踊りがありました。確か舞妓さんの一日というもので音楽に合わせたパントマイムみたいで面白かったです。太神楽(翁家勝丸さん)はひたすらすごい!と思いました。
トリが真打昇進の柳家勧之助さん。役者の出世話の噺(これも「中村仲蔵」という噺だと後で知ります)。一生懸命語っていて、気合が感じられました。
終幕後幕が下りた舞台の中から三本締めが聞こえてきたので、それに合わせて帰りがけの観客が皆拍手をしました。いい場面でした。
全部見終わった後、何だか感動してしまいました・・・。
周りにいた(話していた内容からすると)友達に誘われて初めて来た女性が「夢の話とかオチが想像つくんだけどすごく面白い」と言っていました。別の年配の女性は勧之助さん一生懸命で良かったと話していました。
外にでると勧之助さんが出て行く人に挨拶をするために裏から回って出ていた。ちょっと所在なさそうに、照れているように見えました。
観客が皆にこにこしながら出て行ったのが印象的でした。
落語の漢字が読めない
落語を見ようとして最初に困っことを書いておきます
- 落語用語の漢字が読めない
- 落語家さんの名前を覚えのもタイヘン
- 自分のポイント、(というかあきらめ)
まず「高座」が読めませんでした・・。たかざ?こうざ?
分からないのでネットで検索して調べないといけません。
落語家さんの名前も読めないことが結構あります。
これもネットで検索するのですが、似た名前(一時違い)の人がすごく多いので間違えないように気をつけないといけないです。そして名前が合っていても「何代目」かで別の人になってしまうのでした。
そして更に名前が変わることがあるのです。
私のポイント(というかあきらめ)は
- 落語用語は都度ネットで調べる
- 落語家さんの名前を系統立てて覚えようとしない(一門全員、とかは無理)
- 印象に残った落語家さんから覚えていく
- 覚えた人の師匠を調べる
以上です・・・。